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最高裁判所第二小法廷 昭和46年(オ)357号 判決

上告人

鷲見幸子

右訴訟代理人

山下勉一

被上告人

株式会社扶桑相互銀行

右代表者

古田四郎

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人山下勉一の上告理由について。

原判決の確定したところによれば、訴外粟田喜一は、昭和三四年一〇月三一日、訴外山口又治郎から、同人所有の本件家屋二棟を賃料一か月八、〇〇〇円、期間三年の約で借り受け、敷金二五万円を同人に交付したが、右賃貸借契約においては、「右敷金ハ家屋明渡ノ際借主ノ負担ニ属スル債務アルトキハ之ニ充当シ、何等負担ナキトキハ明渡ト同時ニ無利息ニテ返還スルコト」との条項が書面上明記されていたこと、被上告人は、昭和三五年中、競落により本件各家屋の所有権を取得して、粟田に対する賃貸人の地位を承継し、その結果右敷金をも受け継いだところ、右賃貸借は昭和三七年一〇月三一日期間満了により終了し、当時賃料の延滞はなかつたこと、被上告人は、粟田から本件各家屋の明渡義務の履行を受けないまま、同年一二月二六日、これを訴外竹内熙佐男に売り渡し、かつ、それと同時に、右賃貸借終了の日の翌日から右売渡の日までの粟田に対する明渡義務不履行による損害賠償債権ならびに過去および将来にわたり生ずべき粟田に対する右損害賠償債権の担保としての敷金を竹内に譲渡し、その頃その旨を粟田に通知したが、右譲渡につき粟田の承諾を得た事実はなかつたこと、その後竹内が粟田に対して提起した訴訟の一、二審判決において、粟田が竹内に対して本件各家屋明渡義務および一か月二万四九四七円の割合による賃料相当損害金の支払義務を負うことが認められたのち、昭和○年三月三日頃、竹内と粟田との間において、竹内の粟田に対する右賃料相当損害金債権のうちから、本件敷金などを控除し、その余の損害金債権を放棄する旨の和解が成立し、同年四月三日頃粟田が竹内に対し本件各家屋を明渡したこと、以上の事実が認められるというのであり、他方、上告人が、粟田に対する強制執行として、昭和四〇年一月二七日、粟田の被上告人に対する本件敷金返還請求権につき差押および転付命令を得、同命令が同月二九日粟田および被上告人に送達された事実についても、当事者間に争いがなかつたことが明らかである。

原判決は、以上の事実関係に基づき、本件賃貸借における敷金は、賃貸借存続中の賃料債権のみならず、賃貸借契約終了後の家屋明渡義務不履行に基づく損害賠償債権をも担保するものであり、家屋の譲渡によつてただちにこのような敷金の担保的効力が奪われるべきではないから、賃貸借終了後に賃貸家屋の所有権が譲渡された場合においても、少なくとも旧所有者と新所有者との間の合意があれば、賃借人の承諾の有無を問わず、新所有者において敷金を承継することができるものと解すべきであり、したがつて、被上告人が竹内に本件敷金を譲渡したことにより、竹内において右敷金の担保的効力とその条件付返還債務とを被上告人から承継し、その後、右敷金は、前記の一か月二万四九四七円の割合により遅くとも昭和三八年九月末日までに生じた賃料相当の損害金に当然に充当されて、全部消滅したものであつて、上告人はその後に得た差押転付命令によつて敷金返還請求権を取得するに由ないものというべきであり、なお、右転付命令はすでに敷金を竹内に譲渡した後の被上告人を第三債務者とした点においても有効たりえない、と判断したのである。

思うに、家屋賃貸借における敷金は、賃貸借存続中の賃料債権のみならず、賃貸借終了後家屋明渡義務履行までに生ずる賃料相当損害金の債権その他賃貸借契約により賃貸人が賃借人に対して取得することのあるべき一切の債権を担保し、賃貸借終了後、家屋明渡がなされた時において、それまでに生じた右の一切の被担保債権を控除しなお残額があることを条件として、その残額につき敷金返還請求権が発生するものと解すべきであり、本件賃貸借契約における前記条項もその趣旨を確認したものと解される。しかしながら、ただちに、原判決の右の見解を是認することはできない。すなわち、敷金は、右のような賃貸人にとつての担保としての権利と条件付返還債務とを含むそれ自体一個の契約関係であつて敷金の譲渡ないし承継とは、このような契約上の地位の移転にほかならな※[い]とともに、このような敷金に関する法律関係は、賃貸借契約に付随従属するのであつて、これを離れて独立の意義を有するものではなく、賃貸借の当事者として、賃貸借契約に関係のない第三者が取得することがあるかも知れない債権までも敷金によつて担保することを予定していると解する余地はないのである。したがつて、賃貸借継続中に賃貸家屋の所有権が譲渡され、新所有者が賃貸人の地位を承継する場合には、賃貸借の従たる法律関係である敷金に関する権利義務も、これに伴い当然に新賃貸人に承継されるが、賃貸借終了後に家屋所有権が移転し、したがつて、賃貸借契約自体が新所有者に承継されたものでない場合には、敷金に関する権利義務の関係のみが新所有者に当然に承継されるものではなく、また、旧所有者と新所有者との間の特別の合意によつても、これのみを譲渡することはできないものと解するのが相当である。このような場合に、家屋の所有権を取得し、賃貸借契約を承継しない第三者が、とくに敷金に関する契約上の地位の譲渡を受け、自己の取得すべき賃借人に対する不法占有に基づく損害賠償などの債権に敷金を充当することを主張しうるためには、賃貸人であつた前所有者との間にその旨の合意をし、かつ、賃借人に譲渡の事実を通知するだけでは足りず、賃借人の承諾を得ることを必要とするものといわなければならない。しかるに、本件においては、被上告人から竹内への敷金の譲渡につき、上告人の差押前に粟田が承諾を与えた事実は認定されていないのであるから、被上告人および竹内は、右譲渡が有効になされ敷金に関する権利義務が竹内に移転した旨、および竹内の取得した損害賠償債権に敷金が充当された旨を、粟田および上告人に対して主張することはできないものと解すべきである。したがつて、これと異なる趣旨の原判決の前記判断は違法であつて、この点を非難する論旨は、その限度において理由がある。

しかし、さらに検討するに、前述のとおり、敷金は、賃貸借終了後家屋明渡までの損害金等の債権をも担保し、その返還請求権は、明渡の時に、右債権をも含めた賃貸人としての一切の債権を控除し、なお残額があることを条件として、その残額につき発生するものと解されるのであるから、賃貸借終了後であつても明渡前においては、敷金返還請求権は、その発生および金額の不確定な権利であつて、券面額のある債権にあたらず、転付命令の対象となる適格のないものと解するのが相当である。そして、本件のように、明渡前に賃貸人が目的家屋の所有権を他へ譲渡した場合でも、賃借人は、賃貸借終了により賃貸人に家屋を返還すべき契約上の債務を負い、占有を継続するかぎり右債務につき遅滞の責を免れないのであり、賃貸人において、賃借人の右債務の不履行により受くべき損害の賠償請求権をも敷金によつて担保しうべきものであるから、このような場合においても、家屋明渡前には、敷金返還請求権は未確定な債権というべきである。したがつて、上告人が本件転付命令を得た当時粟田がいまだ本件各家屋の明渡を了していなかつた本件においては、本件敷金返還請求権に対する右転付命令は無効であり、上告人は、これにより右請求権を取得しえなかつたものと解すべきであつて、原判決中これと同趣旨の部分は、正当として是認することができる。

したがつて、本件敷金の支払いを求める上告人の請求を排斥した原判決は、結局相当であつて、本件上告は棄却を免れない。

よつて、民訴法四〇一条、九六条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(色川幸太郎 村上朝一 岡原昌男 小川信雄)

〈編注 ※部分に[い]を挿入〉

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